せばまんつ、イスラエル。

イスラエル回想録

イスラエルはネス: ב


1. イスラエルの学び

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イスラエル博物館にて。第二神殿模型。

その頃、両親と共にイスラエルに関する学びを始めていました。そして、以前は少し遠く感じていた聖書における、また現在における「イスラエル」や「ユダヤ人」がいかに自身と関係があるのかを知り始めたのです。

筆者は長い間、旧約聖書に記されている「イスラエル」を今日の「教会」や「クリスチャン」に置き換えて読んでいました。ですから、現在の「イスラエル」や「ユダヤ人」は神様の選びにはもはやなく、彼らはもう愛されていない、と心の奥で何となく思っていました。この考え方を神学用語で「置換神学 (Replacement Theology)」と言うそうです。

興味ある方はこちらを参照ください。

 

ティーチングレター「置換神学とは? Part-1」|B.F.P. Japan

 

しかし、実はこの解釈には矛盾が生じ、聖書を正しく読むことが困難になります。

例えば、筆者の好きな御言葉:

私(主である神)の目にはあなたは高価で尊い、私(主である神)はあなたを愛している。 イザヤ書43:4

このイザヤ書の言葉はそもそも、神様がユダヤ人の預言者イザヤを通してイスラエルの民、つまりユダヤ人に語ったものでした。しかし、仮にイスラエルがもはや神の選びではないとしたら、この言葉はイスラエルユダヤ人にもはや適応されません。

聖書の神は、自らの言葉を容易く覆されるような不誠実な神なのでしょうか?

あなたがたの周りに残された諸国の民も、主であるわたしが破壊されていたところを建て直し、荒れ果てていたところに木を植えたことを知るようになる。主であるわたしが語り、これを行う。 エゼキエル36:36

わたし(主である神)のため、わたし(主である神)のために、わたし(主である神)はこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしの栄光を、ほかの者に与えはしない。  イザヤ48:11

主よ、あなたは私の神。私はあなたをあがめ、御名をほめたたえます。あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、真実に成し遂げられました。

イザヤ25:1

聖書の神様は神であるがゆえに、その御名のゆえに、必ず自らのことばを成し遂げる方です。

今日もイスラエル、そしてユダヤ人は神様の選びであり、神様の彼らに対する愛は変わることがありません。そして、イスラエルによって素晴らしい祝福が全世界へと広がっていきました。

イエス・キリストイスラエルユダヤ人として生まれました。イスラエルにて救い主が誕生し、その救いが全世界へとユダヤ人を通して広がっていきました。そして、イスラエルから遠く離れた日本に生まれた筆者も、その恩恵にあずかったのです。


2.「... 導きを感じませんか?」

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エルサレム旧市街地の聖墳墓教会にて。キリストの墓とされる場所に立つ教会(諸説あり)。

偶然にもそのようにタイミングが重なり、筆者にとってイスラエルは何か特別な、憧れの存在になっていきました。そして「イスラエルに行きた〜い!」という思いが溢れてきたのです。

しかーーーーっし、甘くはないぞ「海外留学」(本日2回目)。両親は経済的なサポートはほぼ不可能(行くのは大賛成)。どうやり繰りしようか悩んでいた矢先、大学の先生が

イスラエルの大学から奨学金出るヨ〜返還不要のやつ〜」と。

彼のことは「にゃー先生」と呼ぶことにしましょう。なぜなら、大の猫好きで一人称が「我輩」。会話の中に時々「にゃー」とか入れてくる。なかなか濃い先生との出会いが多い筆者。

そして、にゃー先生は微笑みながらおっしゃった、

「神様の導きを感じませんか?」

にゃんと。

 

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エルサレム旧市街地にて。イスラエルは猫大国でもある。

にゃー先生は筆者がクリスチャンだと知っていました。しかし、先生は自称「曹洞宗」。そんな彼の口から出た言葉に驚くと同時に、筆者も何かイスラエルへの道が開かれつつあると感じていました。

にゃんとか(おっと)条件をクリアして奨学金をいただき、イスラエルの大学に約一年交換留学に行けることに。 この奨学金は毎年出されるものではなく、大学が協定校としての関係を感謝し、その年だけご好意で出してくださったのです。

何というタイミング!授業料と寮費を全てカバーしてもらい、お釣りもでることに。必要なものが全て備えられていました。

そして大学3年生の秋、イスラエルへ飛びました。


3. ネス。ーすなわち、奇跡。

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留学先の寮にて。

日本とは言葉も文化も、何もかも異なるイスラエル安息日にバスがなく13kmの道のりをヒールで歩いたり(途中から室内用スリッパ)、宗教的なムスリムのルームメイトたちと寮生活したり、西岸地区でアラブ人の過激なデモに遭遇したり、なかなか楽しい留学でした。生きる力と忍耐力が少しはついた気がします。

 

ーーーこれじゃあ、何かフツー。

 

....それ以上のものがあったんですって!

何てったって、イスラエルという国そのものが

「奇跡」なのですから。その歴史を辿る時、神様の存在、イスラエルの選びを確信します。

 

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約1900年前にローマ帝国によってエルサレムは崩壊。その時に多くのユダヤ人たちは世界中へ離散していきました。それから非常に長い間、国を持たない民族として離散先でコミュニティーを形成し、いつかエルサレムへ戻ることを夢見ていました。しかし、この離散の間、ユダヤ人は必ずしも安心して暮らすことができていた訳ではありません。ユダヤ人であるがゆえに差別され、酷い迫害を受けてきました。

 

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そして、ユダヤ人への差別と憎しみが最高潮に達したのが、約600万人のユダヤ人がナチス・ドイツによって虐殺されたホロコーストでした。

彼らの夢、祖国への帰還がもはや消え失せたように思えた時、奇跡が起こりました。

 

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イスラエル建国を伝える記事。

1948年のイスラエル国の建国 です。

聖書にはイスラエルの再建が約束されていました。様々な箇所がありますが、例えば、以下の箇所。

 

わたしは、あなたがたが国々の間で汚したわたしの大いなる名が、聖であることを示す。あなたがたが彼らのただ中で汚した名である。わたしが彼らの目の前に、わたしがあなたがたの内で聖であることを示すとき、国々は、わたしが主であることを知る。ー神である主のことばー。わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。

エゼキエル36:23−24

 

聖書の言葉がまさに実現しました。

 

国連でパレスチナ分割案が決議された後、イスラエルは独立を宣言。その直後、反対するアラブ諸国5カ国との戦争(第一次中東戦争)が勃発しますが、イスラエルは圧倒的武力の差にも関わらず、勝利を収めます。またまた、奇跡が起きたのでした。

 

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エルサレムにあるクネセット(国会)

 今日、イスラエルは「世界でただ一つ、ユダヤ人が安心して暮らせる国」という信念のもと、ロシアをはじめとする世界100カ国以上の国々から、帰還民を受け入れています。

 

また、イスラエルは年間を通してユダヤ教のお祭りがとても多いです。それらのお祭りは役1900年前にエルサレムがローマ軍によって破壊され、ユダヤ人たちが世界中へ離散していった時に消滅したのではなく、再建されたイスラエルで今日も祝われています。その光景を実際に目にしたことは、奇跡を目の前にしているような鳥肌ものの体験でした。

 

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嘆きの壁へ向かうユダヤ人の子供たち。エルサレムにて。

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嘆きの壁にて。

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過越の祭り(Passover / Pesach ) の晩餐会 (seder)にて。

4. 愛されていることを知った時

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地中海に沈む夕日。カルメル山より。

筆者は美しい壮大な自然界を見るとき、神様の存在を感じます。空にある太陽、星々や月。彼方まで青々と広がる海。季節ごとに咲く色とりどりの花々。自然界を眺めるときに何か心が癒され、それらを創造した神様の壮大さが迫ってきます。

はじめに神が天と地を創造された。 創世記1:1

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 詩篇19:2

イスラエルとの出会いは、筆者の人生における神様との第二の出会いでもありました。

イスラエルの歴史を学ぶ時、聖書の神様が絶対に存在することを知り、聖書の御言葉がより現実的なものとなります。筆者が小学生の時に出会った神様はどちらかというと、とても個人的な方でした。しかし、イスラエルを通して出会った神様は歴史に民族に働きかけられる壮大な神様でした。

筆者の信頼する神様が、確かに約束を守ってくださる方であることを、歴史的事実から、また個人レベルの日常生活から知った時、更にこの方への信頼が増しました。そして、イスラエルをここまで愛する神様が、同じ愛で筆者のことも愛している事実に胸が震えたのです。

"When we know we are loved, the courage we need to resist depression and sadness wells up from inside us." by anonymous 

(「私たちは愛されていることを知った時、失望や悲しみに立ち向かうために必要な勇気が、私たちの内側から湧き上がってくるのです。」)

 

5. 最後に

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3月のカルメル山にて。

イスラエルとの出会いを回想することで、今日まで助け導かれてきたことに感謝する時を持つことができました。

実は1度目のイスラエル留学から2年後、今度はイスラエルの大学院へ留学しました。その際、返還無償の奨学金を二ついただき(奇跡)、今度はまた違う側面からイスラエルを見る機会が与えられました。これまでの人生でおそらく一番楽しく、素晴らしい時だったと思います。

昨年帰国し、それから様々なことが身辺で起こりました。喜びや楽しみがある一方、とても理解できないような悲しみにも直面しました。この世の中の理不尽さや明日がどうなるかさえ知ることができない人の儚さを思いました。今だに処理しきれていない自分がいて、「神様、分からないよ...」と疑問を持ってしまうこともあります。

そんな筆者にとって、この機会は神様の存在と愛をもう一度確かめる作業でもあったのだと思います。愛してくださる神様にあって、これから先どんなことも乗り越えることができるのだと信じたいです。

最後まで筆者にお付き合いくださり、ありがとうございました。