でんじゃらすなクリスマス
どうも、去年からステイホームを極めている著者です。
先日のとあるツイート。
「テレワークや自宅待機は『ニートになるにも才能がいる』ということを日本中に教えてくれた」
新たな才能を発見してしまったこの半年。
まあ、そんなこんなで、元気にリモワしてます。(ニートちゃうよ〜)
今回は(気分で)ベツレヘムで過ごしたクリスマスをご紹介したいと思います。季節的にかなり無理やり感ありますが、よろしければお付き合いくださいませ。
- 1. イスラエルでのクリスマス
- 2. でんじゃらすなクリスマスーー2015
- 3. いざ、ベツレヘムへ
- 3.1. クリスマスの朝
- 3.2. クリスマス礼拝
- 4. びっくりベツレヘム
- 4.1. 誰の誕生日?
- 4.2. タイヤ炎上
- 4.3 分離壁
- 5. さいごに
1. イスラエルでのクリスマス
なんとも良い響き〜。
なぜなら、クリスマスの主役である
イスラエルで誕生している
んですね。
じゃあ、クリスマスの本場やん!
....って思うじゃん?
しかし
イスラエルのクリスマス感は、日本に比べてほぼ
皆無。
最近でこそ、商業目的でのクリスマスバーゲンや友人とイベントとして楽しむためのクリスマスパーティーとして少しずつ一般的になってはきましたが(特に若者)、 キリスト教国でもない日本とさえ比べて、クリスマスの雰囲気はほとんどないです。というのも、クリスマスはユダヤ人にとって彼らを迫害し続けてきたキリスト教ーー異端の祭りと見なされてきたからです。
お店でクリスマスソングが流れ、町中がイルミネーションやツリーで飾られている日本の方が盛り上がっています。(クリスマスの本当の主役の姿はありませんが、、)
2. でんじゃらすなクリスマスーー2015
2015年秋に初めてイスラエルを訪れた筆者。その時期、イスラエル国内ではとある事件が立て続けに起きていました。刃物&暴走車テロ。パレスチナ人やイスラム教徒によるユダヤ人(または彼らにとって「ユダヤ人」のような外見をした人々)への無差別テロでした。てか、よくそんな時期によく留学行けたな。
学期初めに最悪の場合は帰国もありえると通達があり、それこそ最初は緊張していましたが、幸いなことに大学があるハイファでは特にテロがなく、普通に留学生活を送っていました。そして、特にハイファから出ることもほぼなく、呑気に過ごしていた筆者はある日思ったのです。
クリスマスにベツレヘム行きたいわあ。
脳内お花畑。
そしてふと、
ベツレヘムってどこだっけ?
西岸地区(West Bank)
にございます。
西岸地区は国際連合からイスラエル占領地として考えられています。パレスチナ人(アラブ人)、ユダヤ人や少数民族グループが居住。そして、アラブ人のほとんどが第一次中東戦争でイスラエルから避難したパレスチナ難民、その子孫です。ゆえにイスラエルに反感を抱く人が多く、イスラエルとの暴力的衝突も多い西岸地区はA・ B・ C地区に分けられており、ベツレヘムはA地区:イスラエルが撤退し、行政と治安がパレスチナ暫定自治政府🇵🇸によって行われています。
...ちょいデンジャラスな雰囲気。
同時期に、エルサレムでイギリス人(白人系)留学生が、外見でユダヤ人だと判断したパレスチナ人テロリストに刺される事件が起きてました。ちなみに、「ユダヤ人=白人」は偏見であり、ユダヤ人には黒人やアジア系もいます。おそらく、アラブ人の中にもそのような固定概念を持ってユダヤ人をイメージしている人が多いのかもしれません。
そんな感じにイスラエル・パレスチナ間の緊張感が高まる中、「ベツレヘムでクリスマス祝いたいわ〜!」と脳内クリスマス一色になっていた筆者は幾人かの留学生たちとベツレヘムへ向かったのでした。その時はまだ「ユダヤ人=白人」な固定概念があった筆者の心のうち↓
「ワタシ、見た目アジア人だし。
刺されないべ〜。他の留学生、完全に白人だけどね。(よく行くわな〜)」
著者のダークサイド。
3. いざ、ベツレヘムへ
ヘブライ語で「パンの家」の意であるベツレヘム。ダビデ王(イスラエルの二番目の王様)の故郷でもあり、「ダビデの町」(City of David)とも呼ばれています。このベツレヘムでイエス・キリストが誕生しました。
御使いは彼ら(羊飼いたち)に言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。...御使たちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
ルカの福音書 2:11, 12, 15
年間を通して世界中から多くの観光客が訪れており、PLO(パレスチナ自治政府)の管轄にあるベツレヘムの経済は観光業で支えられているそうです。その中でもキリストの降誕をベツレヘムで祝おうと、クリスマスの時期には観光客の数も増加します。しかし、2015年のクリスマスはイスラエル・パレスチナ間の緊張が高まっていたこともあり、普段よりも観光客が減少したそうです。
ベツレヘムに着いた私たちは、降誕教会(イエス・キリストが降誕したと伝えられる場所に建てられた教会)があり、クリスマス行事が行われるマンガースクエアへ。
普段より観光客が減ったとはいえど、それなりに人はいました。ちなみに、ベツレヘムは観光客が一番多く訪れるクリスマスが最も治安が良くなるそう。普段はいないパレスチナの兵士たちが厳重体制で会場を監視していました。よ...よかったあ〜〜〜〜〜。それでは、マンガースクエアの様子を少しばかり写真でどうぞご覧ください〜〜。
本当は降誕教会のイヴ礼拝に参加したかったのですが、事前にチケットの購入が必要だったそうで断念。降誕教会へはクリスマスの朝に行くことにしました。
警備態勢もしっかりとしていたので、特にトラブルはなくイヴを過ごすことができました。それでも、ガラの悪そうな少年たちが女の子をどこかへ連れて行こうとしたり、小さな子供達が観光客に物を売ったりと、少し治安の悪さや貧しさを時々垣間見ることも。そのことは、一緒にいた仲間と心を痛めて祈りに覚えさせられました。
そして結局、一番怖かったことといえは、全部の行事が終わった後に会場から少し離れた宿へ帰るときの街灯がほとんどない暗い道。女子4人だったしね。。
日本でのイヴはいつも教会で礼拝をもち、家族や友人と過ごす幸せな温かい時ですが、2015年のクリスマスイヴは異質でした。イエス様が生まれた町でクリスマスを過ごすことができる喜びよりも、ベツレヘムの予想外の現実を見ることで、どちらかと言うと「不安な」イヴだったのです。それでも、宿で留学生たちと一緒に聖書を開き、確かにこの町ベツレヘムで私たちのために救い主がお生まれになったことを思った時に、やっと、ベツレヘムでクリスマスを過ごすことへの喜びと感動がこみ上げてきました。
3.1. クリスマスの朝
メリー・クリスマ〜ス!!
クリスマスの朝、ベツレヘムは超快晴。降誕教会へ向かう途中、朝食にファラフェル(ひよこ豆のコロッケを挟んだピタパン)をいただいたのですが。。。4シェケルだったんですよ!!4シェケル!!!(約百二十円)
このファラフェルには大興奮。
だって、激安。
イスラエルで買ったら、(筆者が知っている範囲では)安くても10シェケル(約三百円)はするファラフェル。揚げたてのファラフェルはとっても美味しかったです。
もりもり食べながらふと近くの建物を見上げると、
Jesus is the reason for the season
訳:イエスがこのシーズン(季節)のリーズン(理由)だ
上手い。座布団3枚あげちゃうっ。
サンタも、ツリーやイルミネーション、プレゼントも美味しいご馳走も、どれも本当に魅力的だけれど、イエス様なしのクリスマスなんて...「夏休みのない8月のよう〜〜🎶」。すみません。この横断幕を見た時、この一見商業的にクリスマスを祝っているようなベツレヘムにも、イエス様を本当に愛して降誕を喜んでいる人たちがいるのだと嬉しくなりました。
それでは、いざ、降誕教会へ参らん!
降誕教会が建てられている場所は、ギリシャ正教が4世紀始めからずっと守って来たそうです。
3.2. クリスマス礼拝
降誕教会の次に向かった先は、ベツレヘムにあるルター派のクリスマスチャーチ。クリスマスのミサ(礼拝)に参加しました。なかなか素敵な外観の教会でした。礼拝には地元の信者だけでなく、私たちのように観光で訪れた外国人も多数出席していました。
4. びっくりベツレヘム
とってもお天気が良い中、感動的なクリスマスミサを持ちました。しかし、教会を出るとなにやら外が
騒がしい。
4.1. 誰の誕生日?
降誕教会がある広場へ行くと、何やら人だかりが。たくさんのアラブ人男性たちが横に並んでいました。写真よりも、ずっと多くの人たちがいました。そして男の人ばかり。
次の瞬間。
土下座。
ちゃうちゃうー。
祈り始めました。
生誕教会の向かいにはイスラム教のモスクがあったんですね。なにやら今日は彼らの尊敬するイスラム教指導者の生誕日だとか。そのための礼拝でモスクから溢れた人々が広場で祈っていました。
イエス様と同じ生誕日だなんて。一体誰の?
と調べたところ、
(12月25日はイエス・キリストの「誕生日」ではなく、「降誕記念日」です。)
Mawlid Al-Nabi
まりうど・あん・なび?
なんと、
の生誕日でした〜!
「まりうどあんなび」って、別名かしら?初めて聞きました。イスラム暦では2015年12月25日がムハンマドの生誕日だったのだそう。えいふぉー・くりすます?クリスマスの雰囲気は一体どこへ?そして異様な光景に戸惑った筆者は、まさかの事態に直面するのであった。。
4.2. タイヤ炎上
広場を後にし、ふと真っ青な空を見上げると。
黒い煙?
またまた通りが何やら騒がしくなってくる。火事かな?ちょっと見に行ってみようか(行くなよ...)、と仲間と一緒に煙が立ち上っている方角へと少し歩いて見ると、
燃えとる!いや、燃やしてる!?
よく見たらタイヤが燃えてる。何か叫んどるし、え、こわ。
流石に危機感を覚え、周りで同じように立ち見をしている人たちに尋ねると。
「デモよ。
イスラエルに対するね。」
(同じく立ち見していた白人の女性。観光客?)
「ええ〜〜〜〜...ゔぁいおれんとぉ...」(そのまま野次馬になる筆者)
毎週金曜日の正午頃にモスクで行われるイスラム教徒の大規模な集団礼拝が、そのままイスラエルの入植地問題などに対するデモ、イスラエル治安部隊との衝突、治安の悪化へと繋がるそう。私たちはその場面に偶然にも遭遇してしまったという訳です。少し離れた場所から見ていましたが、デモに参加する人々の怒りや憎しみを感じさせられました。金曜日に西岸地区はちょっと気をつけませう。
4.3 分離壁
ブラピ。
じゃなくて
壁。
ウォール。
YEAH
※次、 閲覧注意(ま、大丈夫か。。)
ワールドウォーZ(ゾンビ)
この間見たゾンビ映画に影響されまくりです...すみません。
突如発生した謎のウイルスが瞬く間に世界中へ広がる中、なぜかイスラエルは事前にゾンビ情報を知っていたので国境に壁を作っていた。なんか見た目が完全に「進撃の○人」。イスラエルは難民も受け入れていたので、エルサレムに到着した人々(ユダヤ人やムスリム、クリスチャン)は生き延びて聖地に到着したことにテンションが上がり、歌うわ、踊るわ。しかし、壁の外にいたゾンビたちがその爆音に反応し、壁をよじ登り、ついに突破されーーーイスラエル、壊滅。
なかなかツッコミどころ満載な映画ではありますが、おもろいよ(適当)。ステイホームな皆さん、ぜひどーぞ。
なんか映画紹介になっちゃったけど、西岸地区とイスラエルの間にある分離壁も見てきました。おそらく、この映画に登場する対ゾンビの壁はイスラエルを皮肉っているものと思われます。
1948年の建国以前からテロに苦しんできたイスラエル。自爆・爆弾テロによる被害がピークに達した2002年を機に分離壁の建設が始まりました。それ以降テロは徐々に減少し、パレスチナからのテロリスト侵入を防いでいます。
当事者ではない日本人の筆者がイスラエル・パレスチナ問題に意見することは控えたいと思いますが、イスラエルとパレスチナのどちらもが苦しみを感じていると思います。それぞれに言い分があり、絶対にどちらが悪いとも言えないのです。いつか、互いに許し、愛し合うことができる真のの平和が訪れることを祈ります。
5. さいごに
クリスマスにはベツレヘム郊外にある2つの教会にも訪れていました。写真を少々。
羊飼いの野教会
ミルク・グロット
さてさて、波乱万丈に富んだ、そりゃもう心臓に悪い2015年クリスマス in ベツレヘム☆でした〜。
その3年後にイスラエルで迎えることになった2度目のクリスマス。
何やってたん?
ーーー
もうベツレヘムはいいや☆
と、イヴはナザレ(大学から近い)でクナフェとアイスを食べ、クリスマス当日は友達と集まってクリスマスの賛美を歌ったり、ジンジャークッキー作ったりしましたー。あ、韓国キンパも。美味しい美味しい幸せ&安全なクリスマスでしたとさ☆ちゃんちゃん。