イスラエルはネス : א
筆者の故郷は冬に雪がたくさん降ります。そして積もりに積もります。
しか〜し、今年の冬はいつもと違ったのです。
暖冬。
雪が ...「ナイ」。
大丈夫かしら地球。。。
実は、イスラエルでも雪が降ります。スキーもできちゃいます。北部のレバノン・シリアとの国境にあるヘルモン山(標高2,814m)にて。そう、イエス・キリストと預言者エリヤ、モーセが会見をしたあの「ヘルモン山」でございます(マタイ17:1-19、マルコ9:2-8、ルカ9:28-36)。また、現在はスキー場、そしてIDF(イスラエル国防軍)のレーダー基地があります。
イスラエルを初めて訪れる前は、「イスラエル」=「砂漠」というイメージを抱いていた筆者。
確かに、国土(四国とほぼ同じ大きさ)の60%以上が砂漠であり、乾季(夏)は空気が乾燥している上に気温が高い。日光が痛い。けれど、実際は雪も降るし、緑もある程度豊か。美しい地中海、緑豊かな山や森、ガリラヤ湖、死海や砂漠など様々な自然を楽しむことができる不思議な国です。
雪も降っちゃうイスラエル。その季節や特徴を簡単にまとめてみました。気になる人はどうぞ。
・典型的な地中海性気候
・季節は乾季の夏と雨季の冬の2つ
・乾季には一切雨が降らない
・雨季には雨が降るが、雨量は地域によって異なる
・標高差が大きいので、場所によって気温差が激しい
そんな不思議な国イスラエル。この国と筆者の出会いも不思議なものでした。
今回は「イスラエル回想録」というより、筆者とイスラエルの出会いを回想しようと思います。
原点に立ち返る。うん、これ大事。
目次
1. PK
筆者の父は牧師です。そう、筆者はカッコよく言えば、「PK("Pastor's Kid" 「牧師の子供」)」なのです。両親ともに熱心で、聖書の神様のことをもっと多くの人に伝えたいと、縁もゆかりもない土地で働き始めました。最初は土地の方言が全く理解できなかったそうで、苦労したそう。そんな父も今では方言バリバリな高齢者の方々と意思疎通できるまでになりました(多分)。
牧師家庭で育ったこともあり、幼い頃から聖書に親しむ機会がありました。聖書の舞台は中東にある「イスラエル」、その書物の多くが「イスラエル」と「ユダヤ人」について記しています。ですから、それらの言葉は私にとって何ら珍しいものではありませんでした。しかしその一方で、現在国として再建された「イスラエル」はどこか遠い国、そして「ユダヤ人」は正直いうと宇宙人レベルの未知の存在でした(喩えがひどくてごめんなさい。)
2. 赦してほしい
筆者は小学4年生の夏に信仰を持って、洗礼を受けました、「え。牧師の娘なんだから、生まれた時からクリスチャンなんじゃないの?」信仰は個人的なものです。また、「親が信じているからではなくて、自分で決めなさい」というのが両親のスタンスでした。
幼い頃から聖書の話をよく聞いていましたし、お祈りもしていました。素晴らしい両親と周りの人たちからの愛も受け、聖書に記されている「神の愛」も何となく分かっているつもりでいました。自分が「愛されている」ことは感じていましたが、その一方で聖書が語る「罪の赦し」は分かっていませんでした。
けれど小学生のある時期、他人と自分を比較して一喜一憂している自分の姿が本当に醜くて、情けなくて、「自分はどうしようもない人間だ」と絶望し、「こんな自分を赦して欲しい」と心に飢え渇きを持っていた時、次の聖書の言葉が私に語りかけました。
「私の目にはあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。」
イザヤ書43:4 (新改訳2017)
そしてその時に初めて、聖書が語る「罪の赦し」、そして何よりも「神の愛」をやっと理解することができたんですね。
この時から、少しずつ私の内側が変えられ始めました。以前自分を苦しめていた罪悪感から自由になり、「愛されている!赦されている!」と喜びが内から湧き上がるようになりました。そして、神様の存在をより明確に知るようになったのです。
2. ずれている。
小中高と時たま悩みはありつつも、神様からの愛と喜びを受け取りながら平穏な日々を過ごしていました。高校では英語が好きになり、「大学では留学できたら素敵だなあ〜〜」と夢を抱きました。
しかーーっし、そんなに甘くはないぞ、日本の「大学受験」。もちろん勉強の大変さもありましたが、筆者の家庭では取り決めがあったのです。
それは「大学行くなら国公立オンリーね〜〜浪人は勘弁ね〜ははは〜(by ペアレント)」。
うちは経済的に国公立に行かせるのがやっと。そんなプレッシャーを微妙に感じながら、(たぶん)真面目に受験勉強をしていたのでした。
そして、全国の高校生・浪人生が全てをかけて臨む「センター試験」の日がやってまいりました。あ〜、緊張する、その言葉の響き。「センター試験」。
しかし、試験本番に筆者はマーク式テストの「あるあるミス」で大失敗をしてしまったのです。
「... あああええ!? ずれてるうううううう〜〜〜〜〜〜〜〜?!?!?!?!?!?!?!」
... 御察しの通り、解答欄のマークがずれていました。半分くらい。教科は国語で、理数系が苦手だった筆者は文系科目で出来るだけ点数を稼ぎたいと思っていた矢先、まさに「やってしまった」のでした。
ミスに気づいたのは試験終了の10分弱前、頭が真っ白になりながら修正に取り掛かりました。でも全部は間に合わなかった、いや、もうほとんど何をどうしたのか覚えていません。ただ絶望的な気持ちになっていました。
次の試験が始まるまでトイレに駆け込み、そこで神様に祈りました。「大変なことをしてしまいました。どうしましょう。助けてください...!!」。試験会場には先生方や友達もいました。けれど、その状況下で私が助けを求めることができたのは神様だけでした。そして何とかその日の試験を終えました。
3. 「恐れるな。」
1日目の試験を終え、帰宅。それから筆者は聖書を開いていました。何かこの状況に対して神様の言葉が欲しくて、その頃読んでいた旧約聖書にあるイザヤ書を開いていました。そして次の言葉が目に飛び込んできました。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 イザヤ書41:10 (新改訳2017)
この言葉が心に深く突きささり、不思議な安心感が筆者の心を包みました。そして、その日の夜はしっかりと睡眠をとり、2日目の試験を無事終えることができたのです。
あなたのみことばは、わたしの足のともしび、わたしの道の光です。
詩篇119:105 (新改訳2017)
今思い返せば、人生の大切な節目に筆者を励まし支えてくれたのは、聖書の言葉でした。
4. 「長い冬」
その後、自己採点の結果(国語はマークがずれているとして採点)、国公立に合格する可能性はほぼ「ゼロ」であることが分かり、筆者は絶句。消えてなくなってしまいたい。自分の人生はもう終わったと本気で思っていました。
当時の担任には「お前は国公立は無理だ」と言われ(分かってるわっ)、聞いたこともない私立大学を勧められ... 。
彼のことは「太宰先生」と呼ぶことにしましょう。また後で出てきます。(彼が「太宰治オタク」の国語教師であったため。)
しかし、「無理だ」という教科担任たちの声を振り払って「この生徒に国公立を受けさせましょう」と、なぜか校長先生が受験を許可してくださったんですね。ちなみに、筆者の高校ではセンター試験後に教師全員で生徒一人一人の自己採点を見て、受験先の大学を決めていました。
さすがは縦社会、ニッポン。
校長が「良い」って言えば、誰も何も言わなーい。そして筆者は受かるはずもない、とある国立大学を受験することになったのでした。しかしやる気がない。それはそう、受かるはずがないんですから。「『恐れるな』?もう何も感じないよ。神様だってこの状況はどうにもできないに決まってる。」と捻くれていました。
二次試験までの期間は勉強道具を横に置き、本ばかり読んでいました。その時に読んでいたある一冊のタイトルが、『長い冬』(ローラ・インガルス著)。
ふと窓から外を見ると、一面の雪、寒い、そして暗い。そしてさらに絶望的な気分になっていったのでした。
5. ネス!
二次試験は全く緊張しませんでした。だって、落ちるって分かっていたのですから。プレッシャーも何もない。でも基本的には(たぶん)真面目な筆者。試験は自分なりにベストを尽くしてみました。
合格発表当日。「どうせ」と思いながらも、「とりあえず、確認してみよう」と言ってくれた父がパソコンに受験番号を打ち込みました。次の瞬間二人揃って
「え?」。
合格していました。
わお。
まさに「ネス」(ヘブ語で「奇跡」の意)。
しかし、父も筆者も合格した喜びより
「なんで?」
とただただ驚いていました。
一番驚いたのは、学校の先生方。
「よかったね!」
という祝福の声よりも
「ええ!?」
と驚かれ(そりゃそうだ)、最後には
「頼むから、これから命に関わることだけは気をつけてくれよ〜」
と言われました。
筆者は今日も生かされています。
ハレルヤ〜。
センター試験の成績も後ほど届きましたが、国語ではマークをずらしていなかった場合の点数が出ていたのです。
6. 「え!?イスラエルって、あの『イスラエル』!?」
国立大学に入学できたにも関わらず、筆者は複雑な心境でした。
なぜなら、その合格した大学とは、あの「太宰先生」が「あんな大学」とか「低レベル」とかと、否定的なことばかり言っていた学校だったからです(彼は京都の某有名大卒)。
第一志望ではなかった大学、そして、そんな先生の言葉に影響されていた自分にとっても、当初その大学は価値の低い、自分に相応しくないと思われる大学でした。実際そんなことは全くないのですが。心が傲慢になっていました。
そんな葛藤を抱えながら大学生活を送っていた筆者。ある日、学内で知り合ったクリスチャンの先輩がイスラエルへ留学に行くことを耳にしました。
何でも、大学はイスラエルに協定校があるらしいのです。
続く..
7. おまけ
去年の3月ごろにイスラエルで見かけた花たち。